*2005年05月28日

アメリカ合衆国初代皇帝を名乗った男

Joshua Abraham Norton アメリカ合衆国初代皇帝 ノートン1世
その男に初めて会ったのは サンフランシスコ・ブレティン紙の編集長だった。 軍服を着たその男は 「朕はアメリカ合衆国皇帝である」 と言い放った。 編集長は大ウケし 一見 食詰めた風に見えるその男を気に入り、余興で第1面にその男の宣言文を掲載した。
今なお語り草になっている アメリカ合衆国初代皇帝ノートン1世の 20年に渡る治世はこうして始まった。

 ジョシュア・エイブラハム・ノートン
彼は 1819年にロンドンで生まれ、南アフリカに育つ。 そして 1848年に父が死去し、ノートンは家財一式を売り払ってブラジルへ渡った。
ゴールドラッシュに沸く1849年、ノートンは4万ドルを手にしてサンフランシスコにやってきた。 川を漁って砂金を探すよりも景気に沸く新興都市で働く方が金になると見極め、よろず屋を開き 不動産業にも手を出した。 事業はそこそこ成功し 1853年までに彼の資産は 25万ドルになっていた。 …が、その金を米の買占めに使い、売り惜しみをしている内に南アフリカ米が大量に輸入され相場が暴落してしまう。 そして 2年後、破産宣告が出る。

何を思ったか ノートンが冒頭の皇帝声明を発したのは 1859年9月、彼はまだ破産状態だった。 1週間後に発した 2度目の声明で彼は 「議会を廃止して皇帝の親政に布く」 と宣言。 サンフランシスコの市民は大ウケし、こうしてノートンは町一番の名士となった。
合衆国政府がそんな 2度目の声明を無視すると、ノートン皇帝は陸軍最高司令官に 「しかるべき軍隊をもって進攻し、議事堂をきれいに片付けよ」 と命令する。 …が、当然陸軍に無視される。
さらにノートン皇帝は、メキシコ人は自分達の問題すら処理できない事が明白なので 皇帝直々に "メキシコ人の保護者" の任務の就くという布告が出された。

 合衆国皇帝の生活
古びたレンガにナポレオンとビクトリア女王の絵を貼った下宿宿の一室、これがノートン皇帝の宮殿だった。 午後には雑種犬 2匹を連れて町へ出向き、町の人々の敬礼に鷹揚にうなずき返し、町の下水溝を検分し、市街電車の時刻表をチェックして歩いた。 日曜になるとさまざまな教会のミサに出席した。
サンフランシスコの人々は皇帝を名乗る彼を 食事代 宿代すべて無料で養った。市の劇場はノートン皇帝の為に特別席を設け、彼が入場すると観客は敬意を表し起立した。 セントラルパシフィック鉄道は食堂車で無料の飲食を供するのを断ったため、怒りを買いノートン皇帝から営業停止を宣告される。 だがセントラルパシフィック鉄道は金色の終身パスを皇帝に贈り、ようやく皇帝からの不興を解いてもらった。
そんなノートン皇帝も一度だけ逮捕された事がある。 生真面目な警官が無礼にも皇帝を浮浪罪で逮捕してしまった。 市民は一斉に怒りの声をあげ、反響に驚いた署長は皇帝と市民に対し丁重なお詫びをして釈放し、事無きを得る。

 ノートン 1世の治世
皇帝は常に生活資金に不自由していた為 税金の徴収を始める。 課税率は銀行が週に 3ドル、小売店は週に 25~50セントと定めた。 市民は腹を抱えて笑い、大半の市民はノートン皇帝に忠実な納税者となった。
また、皇帝の礼服が古びて色あせた時 皇帝は声明を発する、「臣民に告ぐ。朕ノートン 1世は臣下の者より、帝室の礼装は国民の恥 なる声を耳にしたり」 と。すると翌日、なんと市議会はノートン皇帝の新たな礼服の予算を計上した。

1861年、南北戦争が勃発するとノートン皇帝は仲介の労をとるべく、エイブラハム・リンカーン と ジェファーソン・デーヴィス に召還令を出す。 …が無礼にも両者は姿を見せなかった。

 そして崩御
1880年1月8日、サンフランシスコ市民から愛され続けた彼は 61歳で逝去する。 その葬儀には数万人の市民が 2日間に渡って最後の別れを告げにきた。
「ノートン皇帝は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追及しなかった。彼と同じ称号を持つ人物で、この点において彼の右に出る者は 1人もいなかった」
ニューヨーク・タイムズ紙に載った彼の死亡記事はそう締めくくられる。
そして1934年、彼の墓に大理石の墓標が立てられる。「アメリカ合衆国皇帝 メキシコ人の保護者ノートン1世 ジョシュア・エイブラハム・ノートン、1819-1880」 碑文はシンプルにそう刻まれた。

先日 友達と話してたらノートン1世の話題が出てきたので、本やメモってたノートから何となくまとめてみた。


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» [歴史] アメリカ合衆国初代皇帝・ノートン1世

  • 2005年09月15日 07:59
  • from 昨日の風はどんなのだっけ?

リンク先は良いFLASHなんですが、陛下の勅令で最も有名な、「ゴート・アイランドとオークランドを結ぶ吊り橋を建設するべし」というエピソードがないのは残念です。 ... [続きを読む]

» アメリカ帝国初代(そして最後の)皇帝陛下

  • 2006年01月11日 13:27
  • from こんなことしてません?

アメリカ合衆国に公式な皇帝はいませんが、私的な皇帝はいたようです。 ジョシュア・ [続きを読む]

*Comment on "アメリカ合衆国初代皇帝を名乗った男"

墓碑文は「追求しなかった」ではなく「追放しなかった」ではないかと。
(URL参照。意味的にもその方が通るかと思います。

  •   Veno
  • 2006年03月01日 09:34

確かにそうですね、修正しておきます。 …と思ったけど、「NYTの原文では何て書かれてたんだろう?」と30分ほど海外のサイトをググってみましたが見付ける事ができませんでした。
見た本の受け売りみたくなってしまうのもアレだけど、ちょっとハッキリしないので保留しておきます。
ありがとうございました。

  •   Lipz
  • 2006年03月01日 20:41

ちょうど時代は南北戦争のとき、だれもがエゴイズムに走った時代。自由の国アメリカで、権力とはなにか、権威とは何か、そう問われたとき、アメリカ市民が出した答えが彼の存在なんでしょうね。

  •   mitsu
  • 2006年06月25日 23:06