*2006年01月17日

人に優しく

高校位の頃から仲の良かった友達や身近な人を病気や事故で立て続けに亡くし、この世の終わりといわんばかりに滅入った私は、以後、出来るだけ自分が傷付かない様に生きていこうと思った。
その方法は "親しい人をあまり作らない、あまり人に近づかない" 事。

よく映画やマンガで悲劇のヒロインがそんなトラウマを背負ってみたいな作品があるけど、それに近い感じ。
ニュースではアカの他人が毎日何人も死んでるけど、そんなのをテレビで見たところで何の感情も沸いてこないのと同様に、そうすれば辛い想いをしなくて済む。 親しくならなければ別れがあっても深く傷付かない、傷付かない人間は生き方が上手く、強い人間だ と。

そんな事を意識し、私は人に対してドライに接するように意識してきた。 ここではネタ風にそんな事を書いたりするけど、半分は本音じみたモノがあったりする。 見知らぬ人は血の通ってない物として見ようとしてる節がある。
そんな心理は表にも溢れ、ある程度親しくなった人にも意識してそうゆう態度を取ってしまう。 励ます場面であっても 「原因は何だったのか、何が悪かったのか?」 をドライに説いて相手を余計に落ち込ませたり、誉める場面でも 「あれをああすれば、もっと良かったのに」 なんて反省点を最初に口に出してしまう。

これだとただの委員長タイプというか嫌な奴で終わるのだけど、なぜか狡猾にも 「表向きにはこんな事を言ってるけど、本当は違うんだよ」 というのを遠回しにアピールしてたりする。 「あんな事言ってるけど実は親身になってくれるイイ人なんだよ」 というのを植付けようとする薄汚い根性があったりする。
今風にいえば "ツンデレ" のデレの部分をチラリズム的に見せ、相手にそれを大きく印象付けようとしてる、というか。

とにかく実生活でもネットでも人に対してそうゆう態度を取ってきた。 それが功を成したのか、何故か人の中心に居る事が多くなり、少し浮いてしまう故かリーダーシップを取るような場面も多くなった。 要するに "友達が少ない" 的な寂しい思いをする事がなかった。 そしてそれはとても居心地が良かった。
当初は北斗の拳のサウザーみたく "親しい人なんていつか居なくなるんだから、だったら最初から居なければいい" 的な考えだったはずなのに、どこで歪んだのか、そんなキャラクター像がうけてる事に天狗になってた。
いつからか相手が傷付く事や困る事を平気で口にするようになった。 「感情を出すのは嫌い」 なんて奇麗事を言いながらも、感情論を正論にすり替え攻撃する事もあった。

そして昨夜、ある事を知った。 薄々は気付いてたけど、再確認した時に凄まじいショックを受けた。 正直参った、いや滅入った。 ショックな事、傷付いた事は今まで数あれど、ここしばらくで一番のダメージかも知んない。
自分は打たれ強い振りをしてるけど打たれ弱いというのは知っている。 だからこそ、もっともっと強くなろうと願ったし、術を得ようとした。実際強くなってると思う。 …でもダメだった。傷付く事を回避してきただけにレジスト値が低かったに違いない。

こうやって自分のいやらしさをも再確認してみると もうダメだね。何年も積み重ねてきたものが一気に… とありがちな台詞があるけど、絵に描いたように そのまんま。
その人には 「ごめんなさい」 を言う気は無い。 私自身それが本音なのかどうかもわからないから。 そして相手側もそんな事を言われても迷惑だろうから。
ただ、「今までありがとう」 それだけをここで伝えたい。

嫌気が差したと同時に、こんな自分を変えたいなんて思いつつも 性格なんて急には変えられないし、意識して為ったとはいえこれは自分自身に違いない。 ただ、これからは他人の身になり優しくなれる人間になりたいな、とそう願う。

改めて、今年(から)の抱負は 『人に優しく』。
相手の為にも、なにより自分の為に。

なんだか自己啓発じみてるような。 例の夜にくるメルヘンの虫か?
他人に、しかもWebなんかに弱い面を晒す趣味は無いし、ゴーストも「やめとけ」と囁くのだけど吹っ切ってアップしてみる。


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